最初の幻灯

記録にある最初の幻灯の公開映写は明治八(一八七五)年七月で、東京の朝野新聞は、麹町三番町に寄留する二人の西洋人が、毎夜住民に幻灯を見せ評判になっていることを報じている(注6)。国産の幻灯が普及するまでには、外国人による幻灯会が多かったものと思われる。

外国人が幻灯を見せる――朝野新聞 明治八年七月七日
三番町八番地に寄留する西洋人が両名にて、去る二日より毎夜十時頃まで写し絵の見世物を出しければ、見物人
が珍しがりて我も我もと見にゆきけるに、その玄関の正面には写真道具のような箱を据えおき、その中へ火を灯して写すと、画は向こうの壁に映るとの事なり。英国の龍動府(ロンドン)の景色をはじめ有名の戦場や古跡名所等を並べたて、日本語にてそれに講釈をなし、終わりに今晩はこれきり、また明晩お出なさいと至って親切にて、講釈もよく分かるとの事。
(鈴木孝一編「ニュースで追う明治日本発掘・第四巻」)

https://note.com/superkomachi/n/nd93b33897422

補足情報

英国公使館

麹1859(安政6)年、横浜が開港すると、高輪の「東禅寺」に「英国総領事館」が開設された。その後、「英国公使館」となるが、殺傷事件などもあり、横浜・東京の市中で移転を繰り返した。「明治維新」後、恒久的な用地を求めていた二代目公使のハリー・パークスは、1872(明治5)年に旧「江戸城」の西側となる当時の五番町(現・一番町)の、旧「七戸藩南部家上屋敷」から旧「七日市藩前田家上屋敷」にかけての一帯を借り受けた。翌年、設計ヘンリー・ボイス、施工監理トーマス・ジェームズ・ウォートルスによる赤レンガ造りの公使館建物が着工となり、1874(明治7)年に竣工。翌1875(明治8)年、この地に「英国公使館」が移転してきた。写真は明治初期の撮影。この建物は、1923(大正12)年の「関東大震災」で倒壊した。「英国公使館」は1905(明治38)年に大使館へ昇格した。写真は明治後期の門の前の様子。
https://smtrc.jp/town-archives/city/kojimachi/p05.html

明治期の麹町周辺

https://smtrc.jp/town-archives/city/kojimachi/p03.html

番町

https://www.nomu.com/machikara/3101/

三番町

現町名:千代田区九段北三・四丁目、九段南三・四丁目
概要:江戸時代の旗本のうち、将軍を直接警護するものを「大番組」と呼び、大番組の住所があったことから「番町」と呼ばれた。江戸期は「市ヶ谷御門内三番丁通」の通称だったが、1869(明治2)年に公式町名となった。1872(明治5)年、一部は富士見町二・三丁目となり、同時に表四番町、裏六番町を合併。同年の戸数244・人口770。物産に傘があった(府志料)
https://edo.amebaownd.com/posts/3295789/
https://koujimachi.net/newtown/bancho03b.html

アーネスト・サトウ

1862来日、1869年に一度日本を離れる
1884年(明治17年)に麹町区富士見町4丁目6番地(当時)の旧旗本屋敷を購入
https://www.hosei.ac.jp/hosei/daigakugaiyo/daigaku_shi/museum/2011/111026/?auth=9abbb458a78210eb174f4bdd385bcf54