機能面より|音、送信する、記録する、再生する
電話以前の拡声の需要と近代
補聴器と聾教育 ear trumpet
遠距離通信の延長
近代スポーツ、イベント、劇、音楽 speaking trumpet
通信技術の歴史 文字を遠距離に テレグラフ、電話は1870年代に発明されたが、これはハーモニック・テレグラフという複数の信号を送受信する電報の技術に基づいてなされたものであった
https://www.shiminkagaku.org/post_225/ 補聴器の歴史から見えてくること
https://shinbun.fan-miyagi.jp/article/article_20201016.php 近代技術史第1回
海外における補聴器の歴史 1819 Philipp Reis カーボンマイクロフォンの制作! https://en.wikipedia.org/wiki/Johann_Philipp_Reis
第3章-トーキー創世記(1) お楽しみはこれからだ~トーキーの誕生~
1798
ファンタスマゴリー「1798年1月23日、ロベールはパヴィヨン・ド・レシキエ(Pavillon de l’Echiquier)で初めてショーを行った」
1837
電信の商業化開始
1844
米国 有線の電信
1844年 – イタリアの発明家インノチェンツォ・マンチェッティ(英語版)が世界初の「音声電信」(電話)のアイデアを論じた。以後電話にいたるまで、アイディアや研究
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E8%A9%B1%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
1849 アントニオ・メウィッチ 音声を電線を通して伝える装置を発明(電極を口に咥える)
https://web.archive.org/web/20060424055029/http://chem.ch.huji.ac.il/~eugeniik/history/meucci.html
1851
第1回万国博覧会 ロンドン
19世紀には、世界中で公共のスポーツが増加ました。ボクシング、クリケット、サッカーなどの競技やさまざまな形式の陸上競技大会が何百年もから行われていましたが、クラブや協会が正式にスポーツを組織するために登場しました。競技会はさまざまな形式で開催され、数百人の競技者と何千人もの観客を集めました。観戦スポーツによって引き起こされる魅力は高まっていました。一般的な考えとは異なり、ロンドン・アスレチック・クラブは1863年にMincing Lane Athletic Clubとして創設された最古かつ現存するアスレチック・クラブかもしれませんが、最初ではありませんでした。イギリスだけでなくヨーロッパやアメリカでも多くのクラブが登場しました。例えば1851年にスコットランドのCromarで開催されたHighland W. F. Society(左側)やTurnverein in Germany(1818年創設)、それから馬術競技も世界中で流行していた。
アメリカ合衆国では1850年代から1860年代にかけて野球やフットボールそしてニューヨークアスレチック・クラブ(NYAC)が創設されることで転換点と言えます。1860年だけでも野球人気は爆発的だったそうです。あらゆる種類のアスレチック競技大会は注目を集めていました。例えば氷上競技では余暇用途向けではありますが巨大構造物が建造されておりますほどです。そしてエンパイアシティースケートリンク完成前数か月以内にニューヨークアスレチック・ クラブ 1回目 の試合を予定しております夕方から灯火下げられる予定です。
全て の ア ス レ チ ッ ク 大 会 情 報 を 知 る た め に 観 戦 者 達 本 当 の 結 果 を確認するため 混雑した場所へ移動します。すべての競技イベントでは、審判は結果を掲板に掲示し、正式な結果を知るために観客はこれらの混雑した場所に向かい。接戦となる可能性があるイベントの掲示板にたどり着くための混乱を想像するしかありません。結果が観客の期待に添わない場合、起こりうる混乱も読者の想像に委ねられます。しかし、大勢の観客が常に競技イベントごとの掲示板を取り囲む中で舞台が整っていました。
1868 ニューヨークアスレチッククラブ
https://www.jstage.jst.go.jp/article/taiikushi/3/0/3_26/_pdf/-char/ja
1857 記録
「フォノトグラフ」エドゥアール=レオン・スコット・ド・マルタンヴィルがという録音機を開発。フォノトグラフによって作られた記録は機械的に読み取らせることはできず、専ら音の振幅具合を波形の強弱によって表すのみで、実際的な意味で記録された音声を再生させることを含む録音ではなかった。
「通信」ではない!
1866
大西洋横断ケーブル開通(大陸間を繋ぐ海底ケーブルは1857年と1858年にも敷設されたが、数日から数週間しか使えなかった。このため海底ケーブルの研究が活発に)
1874 記録
ベルが聾者用のフォノトグラフを制作
1876 通話
ベル他 電話
1877 記録と再生
フォノグラフ エジソン 蓄音機 録音と再生が可能に
1878 カーボンマイクの発明
1878年頃に英国のデイビッド・エドワード・ヒューズ、米国のエミール・ベルリナーとトーマス・エジソンによって独立に開発された。1877年半ばに最初の特許を取得したのはエジソンだったが、ヒューズはそれより数年前から多くの目撃者の前でカーボンマイクの完成品を実演しており、ほとんどの歴史家はヒューズを発明者とみなしている[2][3][4]。
エジソン メガフォン エジソンのメガホンは6フィート(約1.8m)の長さと8インチ(約20cm)の直径を持つ音響メガホンが3本並んでおり、中央の音響メガホンは使用者の拡声の為に用いられ、左右の紙製のメガホンは使用者の耳に接続して聴音の為に用いられた。この装置は1000フィート(約300m)離れた場所の話し声が聞こえ、2マイル(約3.2km)先まで発声が届いたと言われるが、余りにも装置が巨大すぎた事から聴覚障害者の補聴器としては普及しなかった[3]。電気式!
1884
アナウンスの誕生 Frederick William Burns
1896
アテネオリンピック
1900
無線電話 フェッセンデン
1901
マルコーニ 大西洋横断無線通信に成功
1906or7
1906年、この二極管を、アメリカの発明家リー・ド・フォレストが検波管として機能する特許を出願。この機能は、電波から音声を復調するための検波器として、ラジオの受信機に使われました。
1908
ド・フォレストは二極管にさらなる改良を加え、ド・フォレスト オーディオン管(三極真空管)を発明。三極菅は大陸横断電話通信網、ラジオ、レーダー、電子計算機の素子として幅広く使用された。ド・フォレストの、一見地味なこの発明は、その後世界を変えるものとなりました。三極管は電気信号を増幅することができるので、ラジオ波として送受信されている音声伝送の増幅にも利用可能だったからです。それまで、ラジオの利用は限定的なものでした。なぜなら、ラジオ信号の強度は急速に低下する性質があるからです。が、三極管が信号を増幅することで、長距離の無線送波が可能になり、ラジオ放送の土台ができたのです。また三極管は新たな電話システムに不可欠な要素であり、アメリカ、または世界の反対側からでもお互いの声を聞くことを可能にしたのです。
1910
Automatic Enunciator が発明される
1912
Stockholm Olympic
1913
はじめて、新聞記事となる The banner day for public address systems occurred on July 9, 1913.
1914
コミスキーパークでAutomatic Enunciator
1915
パナマ・太平洋万国博覧会 magna vox demo
https://en.wikipedia.org/wiki/Public_address_system
1917 Magnavox
1919 SandiegoでのウィルソンのMagnavoxを使用したスピーチ
1918 パイロット等へのデモ
https://magnavoxhistory.com/timeline/
1915 magnavoxの発明
https://web.archive.org/web/20150318074636/http://www.historyofpa.co.uk/pages/history.htm
1919
リードフォレスト サウンド・オン・フィルム方式のトーキーの特許 フォノフィルムと名付けた Eric Tigerstedt(1923 アメリカに渡る)の方式の改良版
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%88
1920
7年後、ベル電話は公共アドレスシステムとして知られるシステムを開発しました。それは、1920年のシカゴで行われた共和党全国大会のために、コミスキーには関係なく設置されました。以下に、実際の図を提供します。それは、1920年6月6日のシンシナティ・エンクワイアーの記事から採用されたものです。]
アメリカ・ペンシルベニア州ピッツバーグのKDKA局が、1920年11月2日に世界初の公共放送
1926
ここで「ウェスタン・エレクトリック(WE)」や「ベル研究所」、「ゼネラル・エレクトリック(GE)、RCA」という今でもビンテージオーディオで有名な会社が技術開発にあたっています。
そして、1926年の「ドン・ファン」公開と同時期に、ダイナミック型スピーカー(現代のスピーカーと同じ原理)の特許が出願されます。
Western Electricは、(送信管でありながらハイパワー管として今もオーディオファンに重宝されている「211」を発表した)1924年、コンデンサマイクに真空管を組み込み、マイクが拾った電気信号を増幅し、カッティングマシンに届けることに成功しました。これにより、音域も広がり、過度な音量で演奏する必要もなくなったのです(この電気録音による音量の改善は後の、囁くような歌唱法やボサ・ノヴァのヒットを準備していたとも言えます)。アルフレッド・コルトーがピアノ演奏を電気録音した1925年には、ラッパがむき出しではない、キャビネット型のムービングコイル・コーンスピーカーが発表され、その翌年には実験的にトーキー映画「ドン・ファン」が上映。この時点では、BGMが同期されるのみで音声はなく字幕で済ませていたので、厳密にはトーキーとは言えませんでしたが、翌1927年、声と口の動きが同期する実質上初のトーキー映画「ジャズ・シンガー」が上映されました。実はWestern Electricは、音楽の録音のために電気録音を考えていたわけではなく、初めから映画のトーキー化を見越して技術開発を行っていたということです。
https://asianplasticparty.com/blog/?p=7812