古林何某を追う 古林繁越

和歌山時代

誕生

1854(嘉永7年)年4月あるいは5月生まれか  3月3日(3月31日): 日米和親条約締結。同年に安政に改元(暦の変更の関係で、このあたりはかなりややこしい)同年の生まれに、高橋是清

本籍は、どのようなところか

なぜ和歌山県からの渡航が多いのか?
https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/022300/d00201978.html
和歌山県移民年表 https://wakayama.civic-library.jp/immigration-chronology.html
和歌山県市民図書館・移民資料室
移民と和歌山 https://imin.momaw.jp/ja/history/wakayama1/

東京へ

上京してから渡航には意味が? 私費の場合本籍が普通 一回東京に住所を 本籍と居住地

明治4年4月に戸籍法「明治4年(1871)4月、戸籍法が制定され、それまで各府県ごとに行われていた戸籍作成に関する規則を全国的に統一されました。戸籍法は、翌年に全国的戸籍を作成することを命じましたが、それによって作成された戸籍を「壬申戸籍」と言います。戸籍法により戸籍区が設けられ、各区に戸長が置かれ戸籍関係事務にあたることとされました。」

渡航

定期航路を見る https://www.jacar.go.jp/glossary/meijiasia/routes/index.html

明治12年(7/18 26歳5ヶ月)

当時の私費留学の事情は?

この頃、和歌山から私費留学した人は?

なぜ和歌山県からの渡航が多いのか?

渡航先の情報は、勉強等の情報は?

渡航費用は?

福音会

東京での幻燈の上映

明治15年(1882)年12月12日 に明治公会での「米國大写繪」
「硝子拭きにのみ成り果る様に思ふ人多きは」→当時の私費渡航のイメージ!!!

一度上京してから、渡米

明治15年(1882)年12月12日の朝野新聞に,以下の記事が掲載されている.

去る九日の夜木挽町明治會堂にて催せし米國大写繪は五六百人の來客もあり中には婦人小兒抔も大分見えしが始めに會主和歌山縣士族古林某が壇上に登りて米國桑港へ赴けば金持にもなり學者にもなれるは誠に容易の事なるに靴磨きや硝子拭きにのみ成り果る様に思ふ人多きは我々福音會員(桑港に在留する日本人の耶蘇教會也)の慨歎に堪えざる所故イデ我々が刻苦せし米國大寫繪の技倆を以て福音會員の如何なる美麗の地に居るやを諸君に示し入會を乞はんとて先づ桑港の議事堂次にカリホルニアの老杉との写繪を兩三度試みられしに如何なる譯か矇朧として殆ど其の何たるを辨じ得ざるほどなるより口善惡なき見物人は十銭惜い木戸銭返せ抔と云ひて噪ぎ立つる者ありしが[40]

北関東での政談

以下 https://research.komniworks.com/wp-content/uploads/2024/07/AN00224504-19720515-0045-2.pdf

明治16年 4/28日の夜 群馬県山田郡桐生新町の寄席山田亭 にて政談 朝野新聞(明治16年5月6日)より

明治16年6月14日あるいは15日|不敬罪に問われた 浦和での政談
これについては、時事新報 7/30 に記事

https://jahis.law.nagoya-u.ac.jp/hanrei

裁判の結果は「大審院判決書」を参照すべし 裁判の判事の1人に小村寿太郎

手塚豊 明治十五年刑法施行直後の不敬罪事件 (九)
https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00224504-19720515-0045
和歌山県紀伊国名草郡和歌山久保町一丁目第一八番地 平民当時東京府牛込区東榎町第四番地寄留落語家業 明治十六年七月 三十歳三ヶ月

札幌での政談

https://adeac.jp/sapporo-lib/texthtml/d100020/mp000020-100020/ht670200
新札幌市史 第2巻 通史2(政治・社会問題等演説会)
【二十七年】政談 金沢座 川村竹次郎 山口県石代怪聞 古林 繁越

川村竹次郎とは|

浦幌町

「浦幌町立瀬田来小学校 大正08年 9月1日、中浦幌瀬多来特別教授場として開校」
「「瀬多来」という地名は、アイヌ語のセータルからきている。セータルの意味は「山梨」のことだそうだ。昔この地に「山梨」が生い茂っていたようだ。ただ、もう一つの説として「犬の死んだ処」という意味もあるとするが、詳しい意味は分からない。
 瀬田来地区の最初の入植者は村西文左衛門氏一家、大正2年のことである。村西氏はその時何と99歳の高齢ながら元気だったと言うから驚く。その後2年、3年遅れて後藤えん氏、山田たか氏も入植するが、二人はそれぞれ95歳と85歳というからこれにもびっくりする。この健在な高齢者三人が瀬多来地区開拓の草分けなのだ。これは特筆すべき扱いになる。
 さて瀬多来小学校の開校時の児童数は6人、ピーク時が31人、そして偶然にも閉校時は6人であった。61年の学び舎の足跡をそのままこの地の開拓物語として残して置きたい」
https://www.octv.ne.jp/~ican/ueno/t.ueno-hp/hp8/R030203.html
https://museum-urahoro.jp/about/publications/bulletin/
北海道河東郡浦幌町字瀬田来町1-1

留真尋常小學校付属 瀬多來特別教授場 https://museum-urahoro.jp/wp-content/uploads/2022/04/bulletin_21_39-54.pdf p.52

☆ 古林の記述 https://museum-urahoro.jp/wp-content/uploads/2024/04/06-miuraowada8.pdf p.50 大正15年
三浦直春・大和田努 解読:大正十五年・昭和元年 教育雑件 浦幌村役場(その8)
2024年3月 第24号 浦幌町立博物館紀要

☆ 古林の記述 https://museum-urahoro.jp/wp-content/uploads/2022/04/bulletin_19_21-32.pdf p.26 大正15年
三浦直春・大和田努 解読:大正十五年・昭和元年 教育雑件 浦幌村役場(その4)
大正十五年一月五日瀬多來特別教授場 代用教員古林繁越
浦幌町立博物館紀要 第19号 2019年3月 p.26


紀州藩士資料

明治維新と噺家たち https://honnoizumi.co.jp/book/2022/0223.html

https://docs.google.com/spreadsheets/d/1By-rmEO4mdgVZ9RfqhlqeR_76D2yUf-YuwAVos8em-o/edit?usp=sharing

古林繁越

誰と渡航したのかを確認すべき 1880 明治12年(7/18 26歳5ヶ月)

都蝶について

https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000243199&page=ref_view

福音会は 1877-1915くらいまで 田中文蔵 美山は1875渡米 美山の渡米の方法も参考に

創立者の一人美山貫一が明治一八年帰朝し、各地に遊説. して青年学徒の渡米熱を煽った 1885年(明治18年)4月3日に美山牧師に引率され渡米した十数名の学生の一人。荒田 武卿

1880 明治12年(7/18 26歳5ヶ月)p。318付記参照 『在来日本人社会の』

紀州藩士の調べ方

  • 「紀州家中系譜並に親類書書上げ 上、下」
    • 原本は「和歌山県立文書館」に所蔵されています。目録が国会図書館所蔵されており、また、和歌山県立図書館など都道府県立の大きな図書館にも所蔵されています。
      • 人間文化研究機構 国文学研究資料館
  • 「和歌山県史 近世史料1」
    • 下記の分限帳が掲載されています。
      ・和歌山分限帳
      ・文久紀士鑑
      ・和歌山御家中御目見以上以下伊呂波寄惣姓名帳
      • 「和歌山県史 近世史料1」は国会図書館でデジタル化されており、図書館送信対応となっております。お近くの図書館向けデジタル化資料送信サービス参加図書館でも閲覧することが可能です。
        武蔵大学 図書館 近世史料1216.6||152863
    •  「和歌山御家中御目見以上以下伊呂波寄惣姓名帳」(『和歌山県史 近世資料編一』 歌山県史編さん委員会編刊 1977年)の藩士苗字の一覧にふで「古林」があるよう
  • 「旧和歌山藩士族名簿」
  • 「紀伊国地士由緒書集」
    • 和歌山県立図書館、国会図書館、東京都立図書館などに所蔵されています。
      • 東京都立多摩図書館、国会図書館デジタル化作業中
  • 「元禄期紀州藩士名簿: 和歌山城下町絵図にもとづき作成した」
    • 和歌山県立図書館、国会図書館、東京都立図書館などに所蔵されています。
  • 「紀州御分限帳」
    • 和歌山県立図書館に所蔵されています。
      • 東京大学総合図書館
  • 「南紀徳川史 第5冊・第6冊」
    • 和歌山県立図書館、国会図書館、東京都立図書館などに所蔵されています。
      デジタル化されたものをグーグルブックスで見ることが出来ます。
      南紀徳川史 第5冊記載なし南紀徳川史 第6冊記載なし

レフェアレンス協同

  • 2.『和歌山県史 人物』(和歌山県史編さん委員会/編集 和歌山県 1989年)
  • 5.『三百藩家臣人名事典 5』(家臣人名事典編纂委員会/編 新人物往来社 1988年)
  • 『和歌山県立図書館郷土資料目録』(和歌山県立図書館/編集 和歌山県立図書館 1983年)p65-67に掲載されている「A18 伝記 印譜 家史」「A18.1 伝記-江戸時代以前-」に所蔵資料の記載があるので、最寄りの都道府県立図書館等で確認することができる。

和歌山士族姓名

渡航資料

http://nimura-laborhistory.jp/takanoden22.html

オー・オー汽船会社 http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~shkky/wakumon/no-25/01matsuura.pdf は1875年より
https://travel-100years.com/a_058.htm

「清末中国と日本間の汽船定期航路https://www.kansai-u.ac.jp/Tozaiken/publication/asset/bulletin/37/15matsuura.pdf
1867年(慶応3年)1月1日にパシフィック・メール(太平洋郵便汽船会社)がコロラド号、サンフランシスコー横浜ー香港 航路

パシフィック・メールについて https://travel-100years.com/a_058.htm

アーウィンは、1844年1月にデンマークで生まれ、22歳のときに太平洋郵便汽船会社の横浜駐在代理人として来日しました(航路の準備のためか?)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BBW%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3

パシフィック・メール会社の太平洋横断の船旅の状況は、米国桑港寓周遊散人原著・東京石田隈治郎編輯『来たれ日本人──別名桑港旅案内』、東京開新堂、明治19年12月刊)に詳しい

アメリカの太平洋郵便汽船会社 ザ・シティ・オブ・ニューヨーク号
http://nimura-laborhistory.jp/takanoden23.html

「明治初年の海運政策」https://doshisha.repo.nii.ac.jp/record/13517/files/017022050606.pdf

上海からアメリカへ https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/record/12366/files/KU-1100-20120324-23.pdf

太平洋航路については、1880年代以降、カナディアン・パシフィック、日本郵船、東洋汽船が参入し、P&Oを含めての競争が激化した。http://www.kaikou.city.yokohama.jp/journal/110/05-2.html

総論等

書籍

  • 幕末・明治 海外渡航者総覧 第三巻 検索編(記載なし
    • 東京経済大学図書館 拓殖大学 図書館 武蔵大学 図書館 人間文化研究機構 国文学研究資料館

福音会資料

福音会は 1877-1915くらいまで 田中文蔵
chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://dl.ndl.go.jp/view/prepareDownload?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F8214911&contentNo=1

(文倉1943?: p. 127)。月刊雑誌『来たれ日本人』米国桑港寓周遊散人原著・東京石田隈治郎編輯『来たれ日本人──別名桑港旅案内』、東京開新堂、明治19年12月刊

  • 福音会沿革資料
    • 津田塾大学 図書館

キリスト教

『日本キリスト教歴史人名事典』拓殖八王子 武蔵 津田塾 ICU 学芸大

論文

『外国人をめぐる社会史 – 近代アメリカと日本人移民』

東京福音会

「銀座教会設立の経緯は、1875年(明治8)に宣教師ジュリアス・ソーパーによって創設された築地美以教会に遡ります。築地美以教会は設立以来、様々な活動を開始し、1884年(明治17)には東京福音会が銀座に開設。その6年後に銀座美以教会の創設が決定します。築地美以教会から70人あまりが銀座美以教会に転会し、銀座教会の歴史が始まりました。」
https://www.ginza-church.com/about/history/